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名古屋地方裁判所 昭和40年(わ)676号 判決

被告人 松井広一

主文

被告人を無期懲役に処する。

理由

(被告人の生い立ちおよび犯行に至るまでの経過)

被告人は奈良県吉野郡高見村杉谷三五番地で源政枝を母として生れ、昭和一三年一一月一一日松井好信の養子となつて以来同人に養われて成長し、昭和一六年頃母は死亡した。

養父好信は山林労務者として被告人を連れて各地を転々とし、昭和二〇年頃静岡県盤田郡佐久間町に定住したので、被告人は同町で義務教育を終え、その後自宅を離れて時計店、建具店に店員として奉公し、昭和二九年八月頃自宅に戻つて再び養父と二人で生活して同町の百貨店へ勤めたり、食料品店の手伝をして来た。

養父好信は被告人が幼児の頃から素行が悪く、女を家へ連れ込んでは被告人と同居のところで肉体関係をしたり、又短気で怒り易い性格で、気が立つたときは被告人をののしつたり手当りしだいの棒などで殴つたり、食事を与えなかつたりしてつらく当つたので、被告人は近隣の人達にかばわれるようにして成長したが、養父の仕打ちには少年の頃は身寄りのない身をかえりみてそれでも養つてくれる恩義を感じつつも、長ずるに従つて憤りの気持を強く持つようになつた。このようなところへ昭和二九年一二月二五日夜好信が同人方へ特殊飲食店の従業帰を連れ込み一緒に寝た翌二六日朝七時半頃、好信が寝たまゝ同室に寝ていた被告人に「早く起きろ、手前みたいな狂人は死んでしまえ」とののしつたため、被告人は遂に憤満の気持が爆発し、やにわに好信の枕元に置いてあつた斧を手に取りその峯で寝ていた同人の頭部を殴打して頭蓋骨を粉砕し脳実質を挫滅させて死亡させた。これにより被告人は昭和三〇年四月一日静岡地方裁判所浜松支部で尊属殺により懲役五年以上七年以下の判決を受け、同月六日右判決が確定して服役し、昭和三七年四月一日満期により釈放されたのである。

出所後被告人は出所に際し身元引受人になつてくれた義従弟の松井繁夫の勧めで、奈良県吉野郡東吉野村杉谷の同人方で同人と共に山仕事をすることとなり、郷里でもあり、わざわざ引取つてくた縁故者の人情をうれしく思つて精を出して働らいたが、三ケ月を過ぎた頃から繁夫から同人の妻との仲を疑われるようになつて繁夫と気まずくなり、昭和三七年九月一四日知人の紹介で加古川清が経営する木材製材販売業の名古屋市南区大磯通り一丁目三五番地株式会社加古川商店へ住込み食事付きで就職した。

被告人は右商店へ就職するに際しては加古川清に自己の前科のあることを打ち明けて了解を求め、清の妻美代子の性格も、女に対しては根性が悪いけれども男にはよいと聞きただして、それならば無事勤めることができると思い、且つは夫妻とも同郷の出身なので親に対する情に似た気持を持つことができると期待した。

このようにして被告人は加古川商店へ就職したものの、食事、入浴、作業服の支給、残業などについて、加古川夫妻としばしばいざこざが起り、当初の期待に反したばかりか夫妻からは総じて人間らしい扱いを受けていないと思い込み、しだいに夫妻を恨むようになつた。とりわけ食事については、日曜日は関西地方の風習に従つて朝食はおかゆが出される場合が多く、又日曜日は美代子の起床が遅かつたり、住込みの従業員が外出したりすることから食事時間が不規則になつて食事が欠けるときもあり、その他の日も御飯と味噌汁は食べ放題であつても、副食物の品数、分量が少なく、食費も払つている被告人としては少なからず不満に思つていたところ、昭和三九年四・五月頃昼食に出された副食物が目刺し三匹位、大根の漬物だけだつたので、被告人は美代子に苦情を言うと、逆に同女から「そんなにまずかつたらどこでもよいから食べて来い」と言われたのに被告人は立腹し、以後同じく食事付住込みしていた同僚の田中一隆と共に近くの食堂で外食するようになり、被告人はこれが退職するまで続いて食費がかさんだことから美代子を深く恨むようになつた。更に昭和三九年九月一六日、同僚の田中一隆が腕時計を紛失したことを服部良雄と話しているのを被告人は立ち聞きして、自己に前科があるため盗んだと疑われているものと誤解して服部を詰問し、同人を板切れで殴つたことが原因で即日加古川清から解雇されたが、これは被告人の言い分を聞かない一方的なものであると清を深く恨らみに思つた。右退職後は加古川清のあつせんで、同市瑞穂区桃園町七番地西垣林業株式会社へ就職し同所の同社々員寮へ住込んで、生活環境が変つたのに拘らず、加古川夫妻を憎悪する気持が一層たかまり、時には暴力を振るつて仕返してやろうという衝動にかられるようになつたが、辛うじてこれを押えていたものの仕事その他で被告人の意のままにならないことが生じた時にこれが右の憎悪と衝動に転化するという極めて不安定な精神状態にあつた。

(罪となるべき事実)

第一昭和四〇年四月三日夜、西垣林業株式会社の従業員が慰安旅行することになつていたところ、被告人はその費用の積立が不足だつたので参加しないことにして、この夜は同僚と午後八時頃外出してパチンコをして遊び、ビール四本位を飲んで前記社員察へ帰宅し、同寮二階八号室の娯楽室でテレビを見て、従業員が旅行に出発した四月四日午前零時頃は自室である九号室へ戻つて就寝したけれども寝つかれないままに再び娯楽室でテレビの深夜放送映画を見ているうちベツトシーンに刺激され、同夜は階下一号室に居住している河口寿子(当時三六年)の夫はさきの旅行に参加しており、同室には同女のみが一人で就寝していることであり、同室へは階上の同女の子供達が寝ている八号室奥座敷から通ずる階段を降りれば容易に行けるから、この機会に同女と肉体関係をしようと思うに至り、同日午前一時過ぎ頃、自室より右経路を通つて一号室奥六畳間へ行き、途中同室備付の電話器のコンセントをはずしてから着ていたシヤツとズボンを脱いで河口寿子が寝ているふとんの中に入り込み、同女の右横に添寝しようとしたが、同女がこれに気付いて「誰」と唯何したのに対し、被告人は「松井や、一回やらせてくれ」と答えて関係を求めたところ、驚ろいた同女はふとんから飛び起きて畳の上に膝を折りうつ伏せになつて拒絶したので、被告人はこの上は強いて同女を姦淫しようと決意し、同女の背後から寄りかかるようにして同女の頸部を両手で強く締めて尚も姦淫をせまつたが、同女が前記の姿勢をくずさず抵抗したためその目的を遂げなかつたけれども、その際右暴行により同女に加療約一週間を要する前頸部挫創の傷害を与えた。

第二被告人は右犯行後自室へ戻り右犯行後の気持の動揺を静めようとしてポケツトビンに残つていたウイスキー八分目位を一気に飲んだが、空腹を覚えたのでラーメンを食べるため外出して名鉄堀田駅近くの中華料理店へ行つたが客が立て混んでいたので入れず、その先の名古屋市瑞穂区惣作町二丁目二五番地みよし屋食堂へ行つたがすでに閉店した後であつた。この頃から被告人は飲酒後の興奮と空腹が満たされない腹立たしさと共に、出所後これまでまじめに更生しようとしてきたのに再び前記のあやまちを犯した罪の意識にかられ、且つは河口寿子は被告人の謝罪に対し、内密にすると言つてくれたものの、夫には話すであろうし、それにより当然被告人は現在の勤先を解雇されるであろうことが予想でき、そうなつた場合の行き所のない自分を推量して意のままにならない混乱、動揺した気持になり、同所から加古川方が近いのを思い出し、こうなつたのも加古川夫妻のためであると同夫妻に対して潜在意識に持続していた憎悪に転化して燃え上り、同所より前記加古川方へ向けて足早に歩み続け、当初は加古川方で何か兇器を探し出し、これで夫妻を殴打するなどの暴行を加えて憎悪の念を晴らそうという気持で赴いたが、加古川方へ着く頃、その兇器には手斧がよいと思うようになり、前同日午前三時頃同方へ着くや勝手知つた同作業所から輪木の下に隠して保管してあつた手斧一丁(昭和四〇年押第二〇一号の二)を取り出してこれを携えたまま同方事務所兼住宅の南西角浴場へ行き、同所のガラス高窓をはずして履いていた突かけ草履(同号の一)を脱ぎ捨てて内部へ侵入し、廊下を伝わつて階下八畳間に行き、ガラス戸を開いて同室をのぞくと豆電球の明りに四人が並んで寝ており、その北端に寝ているのは加古川美代子であることを認めるや、これまでの夫妻に対する憎悪感が一度に極点に達すると共に同女に対し所期の凶行を演しようとしたが顔を見られるのを怖れて隣りの事務所へ行つて配電盤のスイツチを切つて引き返したが、かえつて室内が暗くなつて見えないので事務所へとつて返してスイツチを入れ、再び八畳間へ戻り、同室内へ上りこんで美代子の枕元に立ち、右手斧で殴打した結果同女が死亡しても構わないとの意思の下に敢て寝ている同女の頭部めがけて所携の手斧を振り上げてその峯で二回殴打し、引き続いて同様の意思状態を持続したまま同女の隣りに並んで寝ていた三男忠秀(当時二才)、次男修明(当一三才)、長女知英子(当一五才)のそれぞれ頭部を同様の方法で順次殴打し、よつて右忠秀に対し頭蓋骨々折、脳震盪の傷害により昭和四〇年四月八日午前二時三〇分頃同区松池町一丁目一一番地岡田病院において死亡させて殺害し、右美代子に対し加療約四ケ月以上を要する脳挫傷、前頭部陥没骨折、右上顎骨、下顎骨々折など、右修明に対し加療約四ケ月以上を要する頭部挫傷、大血腫、右側頭骨陥没骨折など、右知英子に対し加療約四ケ月以上を要する脳挫傷、頭蓋底骨々折、頭蓋骨々折などの各傷害を負わせたが、いずれも殺害するに至らなかつた。

第三被告人は右犯行後前記職員寮自室へ帰り、身仕度を整えて浜松市から天竜市を経て前記佐久間町へ逃走したが、逮捕されるまでの間に所持金を使い果して、

(一)  昭和四〇年四月五日夕刻、静岡県天竜市二俣町字二俣一、五五七の四番地旅館喜楽こと渡辺晴一方において、女中の小野なか(当時四三年)に対し、料金を支払う意思も能力もないのにかかわらず、これがあるように装つて宿泊を申込み、同人をして宿泊後料金の支払いを受けられるものと誤信させ、よつて即時から同月七日午前一〇時頃まで同旅館に宿泊し、その間飲食物の提供を受けてもつて宿泊料金合計三、一一〇円相当の財産上不法の利益を得た

(二)  同月七日午前一一時三〇分頃、同市同町字東町一、五六〇の一番地秋葉タクシー株式会社営業所において運転手鈴木富男、(当時三四年)に対し、料金を支払う意思も能力もないのにかかわらずこれがあるように装つて前記佐久間町までの乗車を申込み、同人をして到着後直ちに料金の支払いを受けられるものと誤信させ、よつて即時同所より右佐久間町中部字平沢四、四三〇の一番地先道路まで同人運転のタクシーに乗車し、もつてタクシー料金二二六〇円相当の財産上不法の利益を得た

(三)  同月七日午後五時頃、右佐久間町字蒲川二、七六八番地小西旅館こと坂根烈子(当時四二年)方において、同人及び坂根朝(当時六五年)に対し、料金を支払う意思も能力もないのにかかわらずこれがあるように装つて宿泊を申込み、同人らをして宿泊後料金の支払いを受けられるものと誤信させ、よつて即時から同月九日午前一〇時頃まで同旅館に宿泊しその間飲食物の提供を受けて、もつて宿泊料金合計五、六八〇円相当の財産上不法の利益を得た

ものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(累犯となる前科関係)

被告人は昭和三〇年四月一日静岡地方裁判所浜松支部において、尊属殺により懲役五年以上七年以下に処せられ、同判決は同月六日確定し、昭和三七年四月一日被告人はその刑の執行を受け終つたものであつて、右の事実は検察事務官作成の被告人に対する前科調書、右裁判所の判決書謄本、電信照会回答書によつてこれを認める。

(法律の適用)

被告人の判示第一の行為は刑法一八一条、一七七条に該当するので所定刑中有期懲役刑を選択し、判示第二の行為のうち加古川清方へ侵入した行為は同法一三〇条に、加古川忠秀に対する行為は同法一九九条に、同美代子、同修明、同知英子に対する各行為はそれぞれ同法二〇三条、一九九条に該当するところ、右住居侵入と殺人、同未遂の所為は、夫々手段結果の関係にあるので、同法五四条一項後段、一〇条により最も重い加古川忠秀に対する殺人の罪の刑に従つて処断することとし、その所定刑中後記の量刑意見のとおり無期懲役刑を選択し、判示第三の各行為は同法二四六条二項に該当するところ、被告人には前示前科があるので同法五六条、五七条により判示第一、第三の(イ)ないし(三)の各罪につき累犯の加重をし(判示第一の罪については同法一四条の制限による)以上は同法四五条前段の併合罪であるところ、判示第二の罪について既に無期懲役刑を選択したので、同法四六条二項により他の罪の刑を科さないこととして被告人を無期懲役に処し、訴訟費用につき刑事訴訟法一八一条一項但書によりこれを全部免除することとして、主文のとおり判決する。

(量刑意見)

検察官は(一)本件殺人、同未遂の犯行の態様は、凶悪、残忍を極め天人倶に許すことのできない犯行であること、(二)犯行の結果は判示のとおり重大であり、社会の耳目を衝動せしめた案件であつて、一般予防の見地からも、その刑責については充分考慮されねばならないこと、(三)被害者には何等責むべき事由がなく、また被告人の犯行の動機についても全然酌量の余地がない等の事由が存するのみならず、本件犯行は次に述べるような被告人の改善不能とみられる性格に基因するものと考えられる。即ち被告人は根強い劣等感に基因して物事を曲解し易く、自己中心的で不平不満を生じ易く、情緒不安定、社会的不適応、内向型であつて主観的攻撃的傾向が強く、而かも自己中心的、爆発的傾向の偏倚の著しい性格であつて、斯る性格の被告人は本件と同様の手口の手斧による尊属殺人の前科があり、その刑期終了後僅々三年余にして本件犯行に及んだ点を考えると、被告人のこのような性格は反社会性が極めて顕著であり且つ改善不能と謂うの外なく、従つて被告人の社会不適応性が明白であつて、最早社会にその存在を許す余地がないと謂わざるを得ない。その他凡ての情状を綜合して被告人を死刑に処するを相当と思料するとの意見を主張するので、当裁判所は一件記録を精査し慎重に考慮した結果、次に述べるような理由により被告人を無期懲役に処するを相当とするとの結論に至つたので以下その点を述べる。

本件において量刑上特に考慮すべき点は、被告人は本件殺人の外に更に判示のとおり同様の手口による尊属殺人の前科があるという事実である。このようにして比較的短期間内に繰返されたこれらの凶悪犯罪は、孰れも検察官の主張するとおり被告人の危険極まりない性格偏向に基因するものであることが認められ、またこのような凶悪犯罪が二度に亘つて繰返された事実から考えて、被告人の右性格は最早改善不能の域に達しているのではないかと一応みられないではないが、このような被告人の性格は、幼年期の頃から貧困、無理解且つ愛情に欠けた養父と二人きりの家庭環境の中から次第に育成されたもので、こうした家庭環境の中に必然的に内在する不平不満に対して被告人なりに感じとつた正義感、道徳的潔癖感の反動として培われたものと考えられ、従つて今後被告人の厳しい反省と自覚、殊に理解ある生活環境を与えることによつて再び凶悪犯罪への爆発を防止し欠第にその性格改善が期待し得られるのではないかと思われる点がある外、本件殺人は被告人の判示第一の犯行後の精神的混乱状態から偶発的に想起敢行されたものでその意味において計画的犯行とは認められないこと、当初から確定殺意をもつて加古川一家皆殺しを計画したものとは認められないこと、本件殺人の犯行後の逃走中における被告人の心情に深い悔悟の情がうかがわれ、現在においては如何なる刑責にも服するとの清い心境に達していることが認められる。本件における加古川一家の悲嘆に対しては、心から同情の念を禁じ得ないのであるが、判示のとおり凶行によつて一命を失つた者は加古川忠秀一人で、他の家族は幸いにも一命をとりとた事情とを被此考慮し慎重に検討を加えた結果、被告人に対しては無期懲役別に処するを相当と思料した次第である。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は被告人は判示第二の犯行当時被害者美代子を除く三名に対する犯行は、心神喪失の状態においてなされたものであると主張するけれども医師山田豊の鑑定書並びに本件各証拠に照しその主張は理由がないと認められるからこれを採用しない。

(裁判官 野村忠治 水谷富茂人 郡司宏)

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